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最高裁判所第一小法廷 昭和51年(オ)1240号 判決 1977年12月15日

上告人

渡辺まつ代

右訴訟代理人弁護士

角南俊輔

(他八名)

被上告人

古河鉱業株式会社

右代表者取締役

清水兵治

右当事者間の東京高等裁判所昭和四五年(ネ)第二九八八号雇傭関係存続確認等請求事件について、同裁判所が昭和五一年八月三〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人新井章、同樋口幸子、同坂本福子、同金井厚二、同富岡恵美子、同大森典子の上告理由第一ないし第三について

被上告人会社が経営改善のため高崎工場において人員整理を行う必要に迫られていたとする原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして是認することができ、その過程にも所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するに帰し、採用することができない。

同第四について

原審の確定した事実及び記録上うかがわれる諸般の事情に徴すれば、上告人に対する本件解雇が経営合理化に藉口して既婚女子のみを排除するためのものであったとはいえないとした原審の認定判断は、是認することができないものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第五について

所論の点に関する原審の判断は正当であって、論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤崎萬里 裁判官 岸上康夫 裁判官 団藤重光 裁判官 本山亨)

《参考》

(昭和五一年(オ)第一二四〇号 上告人 渡辺まつ代)

上告代理人新井章、同樋口幸子。同坂本福子、同金井厚二、同富岡恵美子、同大森典子の上告理由

第一、原判決は解雇の必要性(被上告人会社の経営状況)を判断するにあたって、つぎの二点にわたって重大な経験則違背をおかし、この違背は判決に重大な影響をおよぼしている。

一、原判決は被上告人会社の経営状況について、つぎのように判断しているが、これは会計学、それに基く財務諸表制度、その分析方法の根本、簿記の常識に反する重大な経験則違背をおかしている。

(一) 原判決は「公にされた被控訴人の営業報告書、有価証券報告書等によれば、昭和三九年上期から同四一年下期にかけ、被上告人の経営は表面上黒字になっていること、しかしその利益のうちには被控訴人所有の鉱業用地及び社宅用地といった固定資産を売却して得た臨時の利益等のいわば通常の営業活動から出た利益でないものが含まれている」からこの通常の営業活動から出た利益でない固定資産処分益、貸倒引当金繰入取崩差額、石炭関係補給金、合理化費用補填金取崩、久利鉱業施設移転補償金を純利益から差引くと「昭和三九年下期以降本件解雇が行われた昭和四一年三月当時にかけて、実質的には赤字経営が続いていたこと」「赤字決算」で「固定資産の売却によって、その不足分をうめたため黒字になっている」とし、結局、経営の実態は通常の営業活動から出た利益を究明しなければならないとし、それは純利益から固定資産処分益などを差引いたものであるから、そうするならば表面上は黒字経営だが、実質的には赤字経営の状況にあったというものである(以上は判決文八丁裏四行目から一〇丁表三行目まで)。

(二) 右認定は会計学財務諸表の制度、その分析方法の根本、簿記の常識に著しく反し、経験則違背であることは明らかである。

1 原判決は営業報告書、有価証券報告書等が黒字であるのは表面上で実質的には赤字であるという。ここで原判決は営業報告書と有価証券報告書等という表現をしているが、重要なのは有価証券報告書中の財務諸表である貸借対照表と損益及び剰余金結合計算書であることはいうまでもない。従って貸借対照表や損益及び剰余金結合計算書の黒字は表面上のもので、実質的にはこれに反し赤字であるかということが重要な判断事項となる。

しかるとき、原判決のように貸借対照表や損益及び剰余金結合計算書など財務諸表が、これに粉飾決算があるというのであればともかくそうでない限り表面上のもの(黒字)で実質的には異る(赤字)ということは、明らかに財務諸表の制度、本質、役割に真向から反するものとなる。詳述するまでもなく、貸借対照表は、当期の純利益の総括的表示をなすことにも目的があり(会計学の基礎、黒沢清著、千倉書房発行三頁)、損益及び剰余金結合計算書は企業が通常の状態において獲得した期間損益を表わすことを目的としており、これら財務諸表は企業会計原則である真実性の原則、正規の簿記の原則、資本取引と損益取引との区分の原則、明瞭性の原則、継続性の原則、保守主義の原則(安全性の原則)、単一性の原則に基いて作成されているものである。このように、これら財務諸表は企業の経営状態を実質的に真実の状態を表現するために、永年にわたって研究努力された結果の会計原則によっているのである。従って貸借対照表上の数値は表面上のもの(黒字)というものではなく実質的にも形式的にも一致しているもので、これが黒字であるということは正にその企業の実態が黒字の実態を有することを表わしているものなのである。

2 原判決は、経営状態は「通常の営業活動から出た利益」を究明しなくてはならないといい、この「通常の営業活動から出た利益」は前記のとおり純利益から固定資産処分益などを差引いた数値であるという。

ここで、原判決が「通常の営業活動から出た利益」を考究するということは、それなりに理解することができるとしても、その「通常の営業活動から出た利益」判断としての分析方法が前記のとおり純利益から固定資産処分益などを差引いた数値であるということは明らかに会計学、財務諸表制度、その分析方法、簿記の常識に反することもはなはばしく経験則に反する。

通常の営業活動から出た利益については、会計学上、当期業績主義として論ぜられており、企業会計原則や財務諸表規則が原則的にとっている立場である。そしてこれは、損益及び剰余金結合計算書(甲第二号証乃至甲第三〇号証の有価証券報告書中にある)にその数値が明白に記載されている。

この結合計算書から会計学、財務諸表の正しい分析方法に則って「通常の営業活動から出た利益を読みとる場合は、そこに大きく三つに区分されている(第一、営業損益計算分、第二、それを受けて営業外損益を記載する純損益計算分、第三、臨時的、非経常的もしくは前記損益の修正的意味をもつ損益を表示する分)のうち第一、第二の区分の末尾に示されている「営業利益」や「当期純利益」に表現されているのである(現代経済学演習講座会計学、黒沢清編 青林書院新社発行三七七~三八六頁、五〇〇頁参照)。原判決のような方法で差引計算をした数値に表現されているということは明らかに誤りである。

そして右結合計算書から「営業利益」と、「当期純利益」を抜き出すと、昭和三九年上期が営業利益が四億五千万円、当期純利益が七千六百万円(以下先に営業利益を後に当期純利益を記載する)、昭和三九年下期六億四千万円、二億七千万円、昭和四〇年上期五億七千万円、一億九千万円、昭和四〇年下期七億五千万円、二億一千万円、昭和四一年上期一〇億六千万円、五億円、昭和四一年下期八億九千万円、二億九千万円となっているのであって「通常の営業活動から出た利益」は判決文とは逆に大きな黒字を出しているのである。そしてこの辺の状況は甲第一九号証の山口鑑定書で三丁表から五丁表、別表(三)にもよく表現されていて、実質的に大きな黒字を計上しているのである。

更に万一、原判決のように臨時的な固定資産処分益等を差引くときは逆に臨時的な損である合理化関係退職金等支払償却損等を加えるべきで、そうするならば、これも前記結合計算書から明らかに黒字を計上することとなり、それをしない原判決の判断は明らかに会計学、財務諸表の分析、簿記の常識に反すること明らかである。

二、更に被上告人会社が全般として赤字であるとしても、高崎工場だけでも実質的には黒字であったこと、本件解雇は赤字経営であるための解雇でないことは被上告人自身認めているものである。このことは原判決文の事実摘示欄の「被控訴人の主張」の箇所で端的に「本件人員整理は世上一般にみられるような企業の存続が危惧され、それを脱出するため行ったものではなく復配体制の確立及び被控訴人会社の将来の飛躍に備え、生産のブレーキになっている欠陥部分を改善することを目的とするものであったから、会社全体ないし高崎工場に経理上若干の利益があったからといって、何ら不思議ではない」と摘示されていて、原審でもそのことは充分認識されているのである。

しかるに原判決は理由中で実質的に赤字経営であり、その由をもって本件解雇が行われ、その必要性が認定できるとした判断は、明らかに判決に影響を及ぼす経験則違背がある。

三、つぎに、原判決は山口鑑定書(甲第一九号証)および証人山口孝の証言を措信できないと排斥しているが、この判断も経験則に反する。

(一) 山口鑑定書(甲第一九号証)は、被上告人会社が自ら作成し、公認会計士関沢寛氏が監査をして適正なものと認めた財務諸表、営業報告書(甲第二〇号証乃至甲第三〇号証)を中心とし、それに財団法人三菱経済研究所や日本銀行統計局が作成した信用の高い公表された企業経営分析の統計資料(甲第三一号証乃至甲第四一号証)に基いて、経営分析、および会計学の権威ある専門家である明治大学商学部教授山口孝氏が科学的に分析したもので、その資料も判断も全て客観的・科学的なものである。そして右資料は全て甲第二〇号証乃至第四一号証として提出されていて被上告人はその成立を認め、その内容も争いなく、特に鑑定書の中心的資料となっている被上告人会社の財務諸表、営業報告書(甲第二〇号証乃至甲第三〇号証)は被上告人会社作成のもので、内容も認めているものなのである。

また、証人山口孝の証言は右鑑定書をわかり易く口頭で説明したものであるから、その証言内容は鑑定書と同内容のものであって、前記のとおり客観的・科学的なものである。

そして、右山口鑑定書の内容および証人山口の証言内容は被上告人会社の経営内容を(一)生産・販売の能力や実績 (二)経常利益、営業利益、当期利益、留保利益、損益修正や期間外損益を加・減した配当可能利益 (三)赤字か黒字か (四)復配体制の確立に関して (五)収益力と財政状態の他社との比較 (六)収益力の趨勢(総資本純利益率、売上高総利益率、売上高営業利益率) (七)高崎工場の状況(生産計画、売上高) (八)付加価値 (九)労働分配率など全体を多角的に且つ極めて具体的に検討を加えているものである。

このように甲第一九号証の山口鑑定書および証人山口の証言は被上告人会社の経営実態を把握するのに必要とされる内容を適確に他方面から内容豊富に客観的資料に基き科学的に分析したものであって極めて真実性、信頼性の高いものである。

(二) しかるに、原判決は次の理由で山口鑑定書および証人山口の証言は措信せずとして排斥している。

即ち原判決文は「成立に争いのない甲第二〇ないし第二四号証、第二五号証の一ないし一一、第二八号証の一ないし五、第二九・第三〇号証第四二・第四三号証当審証人中井明孝の証言により成立を認める乙第二三号証、原審証人中村富士男、当審証人中井明孝の証言及び弁論の全趣旨によると」(判決文八丁表終り二行目から八丁裏四行目)「被控訴人の経営は表面上黒字になっていること、しかし……固定資産を売却して得た臨時の利益等のいわば通常の営業活動から出た利益でないものが含まれていること……純利益五、一八七万円中、固定資産処分益四五三万一、〇〇〇円で実質利益が四、七三三万八、〇〇〇円……実質的には赤字経営が続いていたこと」(判決文八丁裏六行目から九丁裏終りまで)、「右認定と異る当審証人山口孝の証言により成立を認める甲第一九号証及び右証人の証言は措信せず」というものである。

(三) 右山口鑑定書および証人山口の証言を排斥したことは明らかに経験則に反する。

原判決は表面上黒字だが、実質的には赤字とのことで、この認定と異ることの由をもって、山口鑑定書などを排斥しているが、右に関する経営分析方法が、会計学、財務諸表の制度、分析方法および簿記の常識に反することはすでに述べたとおりである。従ってこのような重大な誤りをおかした判断を前提として、そのことの由をもって右鑑定書などを排斥した判断もまた重大な経験則に反するものである。

原判決は右実質上赤字と判断した資料として、前記(二)の冒頭に掲げた財務諸表である甲第二〇号証以下の甲号証を採用しているが、これは純利益や固定資産処分益の数値そのものを知るためのもので、決して、純利益から固定資産処分益を差引く経営分析方法の正しさを示しているものではない。従って右甲号証が山口鑑定書を排斥する理由にならないどころか右甲号証は実質的に黒字を計上しており山口鑑定書によって正しく経営分析されていて山口鑑定の正しさを示す資料なのである。

また証人中村富士男の経営状況についての証言部分は経営分析的立場からでなく、当事者としての立場から極めて抽象的且つ簡略に証言しているにすぎないのであって、山口鑑定書を排斥する理由にはとうていなっていないのである。

そして判決文が示した分析方法は被上告人会社従業員中井の作成した乙二三号証および同人がその乙二三号証を口頭で説明したにすぎない同人の証言によるものである。証人中井の右分析は、会計学上、財務諸表の分析上、簿記上明らかに誤りのしろものであり、本訴訟のための独自の考えで作成したにすぎないことが明らかとなっている。このように会計学上、財務諸表上、簿記上誤った人を欺く証拠で、極めて客観的、科学的に会計学上などの原則に則って極めて具体的且つ総合的に判断した山口鑑定書および証人山口の証言を事も簡単に排斥した原判決はそのことだけでも、また前記一で述べた経験則違背と総合するときは、より一層経験則に反することは明らかである。

四、右二点にわたる経験則違背は、解雇の必要性としての被告人会社の経営状況である主要事実ないしはそれを左右している重大な間接事実についての判断であるから、個別的にもまた密接に関連しているので合わせてみるときはより一層判決に影響をおよぼしていることは明らかである。

第二、原判決にはつぎの理由不備がある。

一、上告人は本件解雇の必要性の主要事実および重大な間接事実となる被上告人会社全般の事情および高崎工場の事情について、特に第一審でのこの点の主張、立証が充分でなかったので、控訴審では新たに多方面から、且つ具体的事実を挙げて質量とともに充実した内容をもった主張、立証をした。即ち会社全般の事情の項目としては、

(1) 生産能力、生産実績など

(2) 販売実績など

(3) 経常利益、営業利益、配当可能利益など

(4) 収益力、財政状態など

(5) 付加価値、労働分配率など

高崎工場の事情の項目としては、

(1) 製造商品であるさく岩機、ボーリング機等の生産計画、生産販売実績等の伸張状況など

(2) 財務諸表上からの高崎工場の状況

(3) 新機構改革について

(4) 高崎工場の付加価値、人件費など

(5) 直・間比率など

(6) 人員整理対象者とされた既婚婦人の仕事が余剰となったか否かの具体的事実

右に項目的に挙げた事情の内容は極めて詳細に具体的事実を示して主張、立証した(このことは、上告人の控訴審における最終準備書面に証拠を示してまとめられている)。

二、しかるに、原判決は、この原審における質・量ともに充実した会社全般の事情、高崎工場の事情については、ほとんど判断を示さず、わずかに高崎工場の事情としての付加価値、労働分配率直間の比率のみにふれるだけで、これも上告人が具体的証拠を挙げ、詳細に反論したことには何ら判断を示していないのである。

このように、上告人が主張立証した右具体的事情(要件事実からみての意味での事情ではない)は、いずれも主要事実を認定するうえで欠かすことのできない必要不可欠の重要な事実ばかりで、主要な争点となった事実であるから、原審としては、本件解雇の必要性(被上告人会社の経営状況)の最終的結論に至るためには右事実を具体的証拠に基いて一つ一つ検討していく判断過程を経なければならずそれをしないときは判決に重大な影響を及ぼすことになる。

従って判決理由中には右の判断過程を示さないことには論理的帰結としての結論は導き出せないことになる。しかるに原判決は右多数の重要な判断を必要とする事実について、その判断を示しておらず、従って解雇の必要性の判断としての論理的帰結は示されていない飛躍があり判決に影響を及ぼす理由不備があるといわざるをえない。

第三、原判決には次の理由齟齬がある。

被上告人も自認するとおり、機械部門たる高崎工場はエース部門として増産起業を行い将来を嘱目されていた工場である。

そのことは例えば「主要生産機種であるさく岩機、塔載機が比較的安定しており、会社における機械部門中、最も嘱目されていた工場であった」(一審被告準備書面第一回四丁裏)とあり、乙四号証の一にも「受注の増加及び確保に見合う生産能力を増強するとともに高利益率の新製品を発表する」計画であり、また「本件解雇は他に類例の多い生産の縮小均衡を目的として行なわれる整理ではなく、将来の飛躍に備えて、従来工場の生産効率のブレーキとなっている欠陥を是正してその体質の改善をはかるところに本目的があった」(被控訴人第一準備書面一五頁)とあること、被上告人会社作成の機械ニュース(甲第四号証一~一五)などから明らかである。

上告人は高崎工場がこのような状況下にあるとき、解雇は必要性がないと主張した(その具体的主張・立証は原審での控訴人最終準備書面三五頁から四五頁に要約されている)。

これに対し原判決は「機械事業部は、独立採算制はとっているものではない」との理由で高崎工場の経営状況およびその事情を捨て去ってしまった(判決文一〇丁表裏)。そうしてこのように判示しておきながら、他方では高崎工場独自の付加価値や労働分配率、直間の比率を挙げてこれを解雇の必要性と認める根拠としている(判決文一一丁表裏)。

このように原判決が一方では機械部門なかんずく高崎工場の経営状況およびその事情を捨て去っておきながら他方右付加価値などについて解雇の必要性の根拠づけとしていることは明らかに論理矛盾であり、「受注の増加及び確保に見合う生産能力を増強をするとともに高利益率の新製品」を生産する計画などの事情は判決に影響を及ぼす事情で、原判決にはそれに係わって重大な理由齟齬がある。

第四、原判決には以下にのべる点で理由不備ないし理由齟齬がある。

一、原判決は「本件解雇は企業合理化のため、人員殊に間接部門の従業員を整理する必要に迫られ、諸般の事情を考慮した結果、控訴人を解雇することになった事実(詳細は原判決理由のとおり)が認められ」「企業合理化に藉口した既婚婦人の解雇であるということはでき」ないと認定している。

しかし右の認定には次にのべるとおり理由の不備がある。

原判決は右認定の前提として、事実摘示において、控訴人の主張を次のように要約している。すなわち「間接部門に女子工員一〇名の余剰が出たとしても、これを直接部門に配置し、直接工と間接工の比率を是正することも充分可能であるにかかわらず、この措置をとらず、又控訴人ら女子の解雇後、同人らが従事していた業務が廃止された事実もないから、本件解雇は企業合理化に藉口した既婚女子の職場からの締出しである」と。

しかしながら、上告人が本件解雇が企業合理化に藉口した既婚女子の解雇であると主張している理由は、右のような理由のみによるものではない。原審最終準備書面に詳細にのべたように、本件人員整理問題が起ってから本件解雇まで一貫して既婚婦人のみが人員整理の対象者として扱われた本件解雇の事実経過、上告人解雇の前後に未婚者の退職希望を抑えていること、本件解雇後未婚者を採用して補充していること、さらに、そもそも工員一〇名の余剰が出たとしても既婚女子を人員整理の対象者とする必然性あるいは合理的理由はないことなどの理由を上告人は総合的に主張してきたのである。

しかるに原判決は、これらの理由を事実摘示においてすでに上告人の主張から脱落させ、従って冒頭にみたように理由の部分においても本件解雇の本質の判断において全くこれらの事実を斟酌していない。

本件解雇あるいはその前提となった人員整理がいかなる目的のもとで行なわれたかという点は、本件の基本的争点であり、しかもこの点に関する認定は、前述のような諸点についての事実に即した判断を総合することによってはじめて的確になされうるものであるところ、原判決は、上告人の指摘した諸事実のうちごく一部の争点のみを恣意的にとりあげ(しかもそれらについて誤った認定をした上で)、他の点を全く顧慮することなく冒頭にのべたように上告人の主張を斥けている。

右のような判示には、上告人の主張の中にあらわれた重要な間接事実の認定をあえて脱落させている理由の不備があり、前述のような諸点についての判断が加えられるならば、当然本件解雇が、企業合理化に藉口した既婚婦人の排除をねらったものであることが明らかになったはずであって、右は判決の結果に影響を及ぼすべき重要な理由の不備といわざるをえない。

二、原判決は前述のように、上告人を解雇することとなった事実関係について一審判決の理由を引用したうえ本件解雇は企業合理化のための人員整理であると認定している。しかしながら、右認定部分には理由の齟齬がある。

すなわち、右原判決の引用する一審判決は、工員一〇名の余剰が出たが、女子しかも婚婚女子を中心とする女子工員に退職を求めたのは、<1>廃止、縮小することとなった業務にいたのが女子しかも既婚女子であったこと、<2>女子を直接部門に配転するのは困難であること、及び<3>女子は結婚後永くはつとめず、又<4>結婚しているから生活に困らないこと、によるとのべている。

右一審判決は、企業合理化のため一〇名の整理を必要とし、その一〇名については、既婚の女子を中心に募集し、上告人についても既婚の女子であるということを一つの理由に解雇したことを認めている。他方で、右一審判決を引用した原判決は、結論的に「企業合理化に藉口した既婚婦人の解雇であるということはでき」ないとのべ、全く企業合理化のための、換言すれば業務がなくなったことによる解雇であって、既婚婦人であるということに着目して人員整理対象者としたのではないかの如く認定している。

企業合理化のための人員整理の必要性が他方にあると否とにかかわらず既婚の女子であるということのみによって、他より不利益な処遇(本件では人員整理対象者として退職させ、あるいは解雇するなど)をしたとすれば右は憲法一四条、民法九〇条に違反するというべきところ、原判決は既婚女子を人員整理の対象としたことを認めた一審判決を引用しながら、巧みに前記のような結論を導き出しているのであって、一審判決の引用の内容と原判決の結論には矛盾があるといわざるをえない。

又一審判決の内容においても、<2>ないし<4>は女子又は既婚女子を人員整理の対象とすることについての合理性を主張するものであるのに対し、<1>は、当該既婚女子の退職が企業合理化のためやむをえないものであったことを印象づける理由となっている。

しかしながら、むしろ、右<1>の理由がそれ自体(一見合理的にみえるが)被上告人の真実の意図をあらわしたものといわざるをえないのである。

一般に機構の合理化が検討され、その結果人員整理が行なわれる場合、合理化案に基づいて一定の係の人員を減少させることが必要となったとしてもその中の誰に現実に退職してもらうかは会社の人事政策という別個の観点で検討されるはずのことなのである。特に一の業務のみに携ってきて他への配転がきかないという職種について、その業務を廃止するような場合は廃止される当該業務の担当者について退職を求めることはあり得るであろう。しかし本件のようにいわゆる事務部門のいくつかを統廃合して剰員が出てきた場合、どのような者を残しどのような者にやめてもらうかは専ら会社の人事政策如何にかかっているのである。直間の比率を改め直接部門の相対的増加をはかりたいというならば直接部門への配転の容易な男子を当該事務部門からはずし、直接部門へ配転すること、あるいは全く任意に男子女子を含めた退職希望を募りその結果欠けた部門に他の者を配転するなどして合理化を達成することは当然可能であり又通常行なわれるやり方なのである。

さらに被上告人自身、当時「社員の中には会社の前途に見切りをつけ転職する者も続出するという状態で」あるとのべ(昭和四六年六月一八日付準備書面一三頁)、退職を希望する社員が多かったことをのべているのであって、一二名の剰員が出たというのであれば男子、女子を問わず希望退職者を募り、右剰員削減を行なうことは充分可能であったはずである。

しかるに、被上告人は合理化の目的に添うこれらの方法を当初から全く念頭におかず、最初からあくまで女子しかも既婚女子を中心に希望退職を求め、予定した人員に一名不足した段階で一般の男子、女子を含む全従業員から希望退職者を募ることもせずひたすら既婚女子のみに退職を迫り、ついには解雇までして既婚女子のみを対象に整理を行ったのであって、かかる被上告人の態度は異常ともいえるものであり、そこには剰員の整理という単純な目的ではなく他の意図が働いているとみざるを得ないのである。

そして、被上告人自身可及的に女子は未婚者のみに統一するという方針をもち、本件人員整理も終始既婚女子を中心に希望退職者を募ったということを認めているのであって、まさに本件解雇は企業合理化に藉口した既婚女子の解雇である。そしてこのことは前記引用された一審判決の<1>の理由自身が物語っているのであって、既婚女子の排除をねらった解雇でないとの原判決の結論には明らかに理由の齟齬がある。

そして、既婚女子を既婚女子だからとの理由で解雇したこととなれば、右は、憲法一四条、民法九〇条等に違反することは明らかであって、原判決の右の点に関する理由齟齬は結論に重大な影響を与えるものといわなければならない。

第五、原判決には本件労働協約第二九条第一項第五号の解釈について、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令適用上の誤りがある。

一、原判決は、右第五号(解雇の事由として「その他前各号に準ずるやむを得ない事由があるとき」とある)は、企業経営上人員整理の必要が生じた場合その他を予想して、解雇制限に弾力性をもたせるために設けられたものであり、右人員整理は、天災事変に匹敵する事情により事業の継続が不可能となった場合でなくとも、企業を合理化して生産性を向上し、復配体制を確立するために行う場合もこれを含み、このような人員整理の必要が生じた場合、右第五号によって従業員を解雇することは許される、と判示している。

二、しかしながら、従業員の死命を制する解雇措置に関して、右第五号を右のように不当に広く解釈することはその字義に照らしても明らかに誤りである。

三、(一) 即ち、右協約第二九条第一項には、経営上の事情による解雇事由として、「天災事変その他やむをえない事由のため事業の継続が不可能となったとき」(第一号)及び右第五号が規定されているが、右第一号の「天災事変その他やむをえない事由」とは、天災事変か又は「これに準ずる程度に不可抗力に基き且つ突発的な事由」の意であり、「事業の経営者として社会通念上採るべき必要な措置を以てしても通常如何ともなし難」い場合を指すと解すべきであり、また「事業の継続が不可能となったとき」とは「事業の全部又は大部分が不可能になった場合」を指すと解すべきである(吾妻光俊「労働基準法」コンメンタール九四頁参照)。

このような理解が解雇制限や解雇予告を免れしめるための実定法規(労働基準法第一九条、第二〇条)の行政解釈としてうち出されたものである点を顧慮しても、なお右第一号の趣旨が会社にとってその存立を脅かされるような余程の重大な事態においてはじめて解雇という最後手段を使用者に認める、換言すれば、そのような事態に至らぬ限り、本来そのことに何らの責を負わない善良な従業員の死命を制する苛酷な解雇措置をとることを許さない、というにあることは否定できないであろう。そのことは同号及び右第五号について協約が特に「組合との協議」を義務づけていることからも窺い知れるところである。

(二) そして、右第五号は右のような第一号の趣旨を受けてこれに「準ずるやむをえない事由があったとき」に使用者に解雇を許す規定があるから、文字どおり第一号にいうような特段の経営危機的事態に準ずる状況に至った場合にのみ解雇という非常手段に出ることを使用者に認める趣旨と解すべきが相当であり、これを原判決のように一般的な合理化の必要にもとづく解雇をも許容する趣旨とまで拡大解釈するのは、失当といわざるをえない。原審に欠けていた最大の欠陥は、既引のように、「およそ就業規則(本件の場合労働協約――代理人註)をもって解雇事由を限定している趣旨が労働者の保護を主眼としていることを認識し、右就業規則の条項をみだりに広義に解して不当解雇を助長するような結果にならぬよう厳につつしまなければならない」(神戸地裁昭和三二年九月二〇日川崎重工事件判決)という配慮・姿勢に欠けたことである。

(三) 勿論、右第五号は第一号と全く同じではなく、文字通りこれに「準ずる」場合を指しているから、それが使用者に許容する解雇事由の範囲は第一号と全く同一でなく、これよりも若干広いことは認められよう。しかしこれとても、せいぜい、第一号が企業の倒産の場合を指し、第五号が倒産には至らぬまでも、相当な経営上の困難に立ち至った場合を指す、という程度のものであって原判決の如く不当に広く解することなど考えられない。なんとなれば、右第二九条の文理、論理からそう解されるということのほか、右協約条項が、わざわざ同種の就業規則七三条等の解雇制限事由をより厳しく限定していること、協約中にも任意の退職条項や分限解雇条項(いずれも協約二八条)が存し、右二九条の強制的解雇以外に従業員にやめてもらう途が残されていることをあわせ考えると、右のように解するのが妥当だからである。

もし、使用者側が、原判決の言うような企業合理化等のための人員整理が必要な場合にも解雇を欲するならばそれに相応しい明確な条項を協定すべきであって、そのような条項を欠きながら、これを、右第五号の拡大解釈によってまかなおうとするのは、労働基準法の制定趣旨にもとるものである。

(四) そして、右第五号を右のように解釈しても、事業の継続が不可能となるか、もしくはこれに準じて著しく困難となったような場合には、企業を再建させるための人員整理は認められる上、まさに被上告人会社が本件で試みたように、希望退職の募集や、その他協約や就業規則の運用により会社が期待する人員整理の実をあげる途までが封じられるわけではないから、右解釈によっておよそ人員整理が一切不可能になるとか、使用者に不当に苛酷を強いることになるわけではない。

四、本件は、以上の次第で、原判決には本件労働協約の解釈適用に誤りがあり、その結果本来違法無効とされるべき本件解雇を適法とするに至ったものであるから、結局原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令解釈適用の誤りがあることに帰し、この点でも破棄を免れないといわねばならない。

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